院長紹介Doctor
院長
湯淺 壮司(ゆあさ たけし)
- 日本外科学会 専門医
- 日本乳癌学会 乳腺専門医
- 日本乳がん検診精度管理中央機構 検診マンモグラフィ読影医師(評価AS)
- 日本乳房オンコプラスティックサージャリー学会
- 日本人類遺伝学会
経 歴
2001年 | 岡山大学医学部医学科 卒業 |
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2001年 | 岡山大学第一外科 入局 |
2001年~2003年 | 姫路赤十字病院 外科 以後、医局の御指示のもと中四国地方の基幹病院、岡山大学病院の外科に勤務、消化器癌・乳癌の手術を多数執刀 |
2009年 | 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科修了、医学博士取得 |
2014年~2019年 | 姫路赤十字病院乳腺外科 副部長 |
2015年 | 姫路赤十字病院乳腺外科に遺伝性乳癌を対象とした遺伝カウンセリング部門を創設 |
2017年・2018年 | 兵庫県マンモグラフィ読影講習会 講師 |
2019年5月7日 | ゆあさ乳腺クリニック 開院 |
ごあいさつ / 開院の経緯
ゆあさ乳腺クリニック院長の湯淺壮司と申します。これまでの勤務経験や、ゆあさ乳腺クリニック開院に至った経緯をご説明します。
2001年に岡山大学医学部医学科を卒業し、岡山大学第一外科(現在の消化器腫瘍外科)に入局しました。当時は現在のような2年間様々な科をまわってから自分の進む科を選ぶような研修制度ではなく卒業してすぐに内科や外科等の科を選びその科に入局する時代でした。当時、八木孝仁先生(現在の肝胆膵外科教授)に強い憧れを抱いて岡山大学病院で勤務し、肝胆膵の治療を中心にご指導いただきました。そして2001年の秋に姫路赤十字病院外科に赴任を命ぜられ、2年間、佐藤四三先生(当時外科部長、現在院長)と甲斐恭平先生(当時外科副部長で私の指導医、現在副院長)から外科手術を徹底的にご指導いただき、薫陶を受けました。佐藤先生が執刀される手術の第一助手を多数させていただくうちに執刀を任せていただく機会も増え、助手、そして術者に求められるものは何かを身を以て学ばさせていただきました。毎月時間外労働150−200時間の勤務を続け、そのおかげもあり、その後、医局人事で各地の基幹病院を転々とし肝胆膵を中心とした消化器がんの手術や乳がんの手術など多数の手術を執刀しましたが、手術の技術で困ることはありませんでした。
姫路赤十字病院に医局人事で乳腺外科副部長として戻ってきたのは2014年4月。研修医当時からお世話になってきた病院で赴任から5年後にまさか外科医をやめて開業することになるとは当時は全く考えていませんでした。乳腺外科副部長として赴任し、乳腺外科部長の渡辺直樹先生と日赤の双璧として播磨の乳癌医療をリードし乳癌手術件数の姫路とその周辺地区におけるシェアは二人で66%となっていました。赴任前は渡辺先生がお一人で年間約200件の乳腺手術(乳癌を含む乳腺疾患の手術件数)をされていましたが、私が合流しその結果、年間約400件の乳腺手術(乳癌を含む乳腺疾患の手術件数)となっていました。これは乳がんの手術件数で言えば、兵庫県2位、近畿地方で4位でした。スタッフ二人で400件の手術をこなすのは普通ではなく(一般的な乳腺外科医の手術件数の2〜3倍です)、他施設の先生方からは驚かれ、呆れられ、お叱りを受けることもありました。手術件数が多すぎて質が保てるはずがないと。もしくは神業かと。実のところ、全患者さんに対して理想とする質を保って最善の治療をしていました。そのカラクリは、”週の半分は家に帰らず病院に寝泊まりして働き続けていた”からです。脳科学の観点から言えばこのような働き方は愚かであるのですが、年間200件の手術を行い、化学療法もST-VABも全て自分で行い、検診マンモグラフィ、人間ドックのマンモグラフィ読影を行い、外科当直も普通にして、夜間休日の外科の緊急手術当番の時には消化器疾患(汎発性腹膜炎や絞扼性イレウス等)の緊急手術も行いと、こんな業務量を高い質を保ってこなすためには病院に住むしかない。そう思って医局の仮眠室の一室を占拠し(自分の毛布と枕、空気清浄機を持ち込んでいた)、働き続けていました。それが自分のするべきことでしたいことであり出来ることであったからです。渡辺先生と二人で乳がんの臨床をトップで走り続けることが楽しくもありました。
こんな膨大な仕事をこなして疲労感を感じることもありましたが、常にこう考えてその歩みを止めることはありませんでした。使命感に支えられ仮眠室暮らしを続けていました。
”量じゃない、質なんだよ大切なのは”
”私にとって患者さんは沢山いる、しかし、患者さんにとって主治医は私しかいない。だから一点の曇りもない医療をすべての患者さんに提供する義務がある”
しかし、2017年の年末に読んだ複数の論文がその後の人生に大きな影響を与えることになりました。詳細は省いて簡潔にまとめるとそれは欧米のいわゆる先進国の乳がん検診受診率が約80%なのに対して日本は約40%であること。アメリカの乳がん死亡率は過去30年間下がり続けているのに対して日本は死亡率が下がっていないこと。乳がんの治療成績に関しては(これは母集団を標準化して)アメリカの生存率90%に対して日本は89%であること。アメリカの乳がん死亡率が下がったのはホルモン療法等の薬物治療や放射線治療が進歩したこと、残り半分はマンモグラフィによる検診事業が充実したからです。治療法の進歩と検診事業の効果はだいたい五分五分です。そう、乳がん検診受診率は極めて重要な要因なのです。
治療の質に関しては日米で同等なのに、なぜ日本の乳がん死亡率は下がらないのか?その大きな理由は二つあります。一つ目はアメリカでは乳がん罹患率(乳癌になる人の割合)が横ばいになりつつあるのに日本の乳がん罹患率はまだまだ急上昇しているからです。二つ目は日本の乳がん検診受診率が低すぎて進行した状態で治療が始まる人が多いからです。そう、日本では乳癌になる女性が激しい勢いで増えているのに、定期的に検査を受けないから乳癌を早期発見することができず、手遅れの状態で治療が始まる方が多く、次々と亡くなっているし、このままだとこれからも乳がんで亡くなる方は増え続けるのです。
それまで私の外来を受診した患者さん方に腫瘍外科医として最善の治療・手術を行い、癌を治すことがライフワークであり、社会貢献になると信じていましたが、この頃からそれは間違っているのではないかと思うようになりました。このままではダメだ。いくら我々が最善の治療・手術をしてもこうして論文を読み世界を俯瞰して物事を考えてみると、”死ぬ人が減っていないじゃないか!”と。
To change the world better.
当時、夜の12時過ぎまで仕事をして、医局に戻り寝る前にAmazon Prime Videoでアメリカのテレビドラマを1話見て気晴らしをしてから仮眠室にもぐりこみ寝る生活を続けていました。アメリカの放送局HBOが作成した「シリコンバレー」を観ている時でした。この「シリコンバレー」はIT技術者が新しい技術を開発して様々な苦労を乗り越えてその技術を実現するというコメディードラマなのですが、その劇中で、ベンチャー企業の技術者や経営者たちが頻繁に ”To change the world better.” と発言していました。自分たちの開発した新しい技術・会社は世界をより良いものに変えることができると。日本語に訳してしまうと”社会貢献”になってしまうかもしれませんが、やはり社会貢献とは意味が違います。世界を変えるのです、もっと良い世界に。それを観ていて
“やっぱりだめだ、このまま手術をし続けても世界は変わらない、日本は良くならない、乳がん検診受診率を上げなければどんなに良い手術をしても助けられない人は助けられない。もっとたくさんの乳がんを早期発見してこそ手術が生きてくるんだ。”
と考えるようになりました。
ならば乳がん検診受診率を上げるためにはどうすれば良いのか? そう考えた結果、”そうだ、開業しよう! 乳腺クリニックを創ろう!” と決意したのでした。そういえばマンモグラフィ読影AS認定を持っているし、講師もしているし、そういえばたくさんの手術をこなし試験も受けていて乳がん学会乳腺専門医になっていたし、条件は揃っている。あとは少しでもたくさんの方に繰り返し来ていただけるようなクリニックにすればいいんだと。
当院のクリニック理念 ”乳がん死ゼロを目的とする”
乳がん死をゼロにすることは現実不可能な目標ですが、以上の説明でご理解いただけたように乳がん死をゼロに近づけていくためには高度な精度管理がされた乳腺クリニックに定期的に通うことが最も重要なのです。
この世に乳がんで死んでも良い女性など一人もいません。
乳がんで死んで欲しくない。乳がんになってもちゃんとした検査を受け治療を受け、生きていてほしい。強く美しく生きていてほしい。それがゆあさ乳腺クリニックの願いです。
院長 湯淺 壮司